日本歴史地名大系 「八瀬庄」の解説 八瀬庄やせのしよう 京都市:左京区八瀬村八瀬庄北は大原西庄、東は比叡山延暦寺領に接し、八瀬川の両岸を庄域とする山間の荘園で青蓮(しようれん)院(現左京区)門跡領。近世の八瀬村の領域。荘名は建武三年(一三三六)の後醍醐天皇綸旨(八瀬童子会文書)に<資料は省略されています>とみえる。青蓮院を本所として山門への奉仕をなす一方、荘民は八瀬童子と称して朝廷の駕輿丁を務め、課役免除の特権を得ていた(→八瀬村)。南部の現八瀬野瀬町辺は室町時代に「八瀬庄野瀬田新田」(「親元日記別録政所賦銘引付」文明一一年一〇月七日条)として新たに登場する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by