日本歴史地名大系 「八重山島蔵元跡」の解説
八重山島蔵元跡
やえやまじまくらもとあと
王府時代、八重山島全体の行政をつかさどった役所で、蔵元は方言でウラとよばれた。嘉靖三年(一五二四)
蔵元が王府の下部行政機関として整備・強化されたのは、一七世紀に入ってからと考えられている。崇禎元年(一六二八)八重山は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
王府時代、八重山島全体の行政をつかさどった役所で、蔵元は方言でウラとよばれた。嘉靖三年(一五二四)
蔵元が王府の下部行政機関として整備・強化されたのは、一七世紀に入ってからと考えられている。崇禎元年(一六二八)八重山は
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