八野村(読み)はちのむら

日本歴史地名大系 「八野村」の解説

八野村
はちのむら

[現在地名]高松町八野

大海おおみ川と支流野寺のでら川との合流点近く、大海川右岸に位置する。南は大海川を挟んで黒川くろがわ村、西は瀬戸町せとまち村に接し、北は丘陵を登ったところに野寺村がある。能登国羽咋はくい郡に属する。寛永四年(一六二七)の作人七兵衛宛の新開証文(寛永二年新開高一石二斗、同三年新開高三石三斗六升)、同一八年の作人正明寺宛の新開証文(新開高八石六斗八升)では八野村とあり(岡部文書)正保郷帳でも八野村と記すが、明暦二年(一六五六)の村御印(「加越能三箇国村御印之留」加越能文庫)、寛文一〇年(一六七〇)の村御印(八野区有文書)では鉢野村と記載されていて、改作仕法期には一時、鉢野村が公称であったようである。正保郷帳では高二八五石余、田方一五町八反余・畑方三町一反余。


八野村
はちのむら

[現在地名]鈴鹿市八野町

国府こう村の西南、亀山付近を東流してきた鈴鹿川が北に方向を転ずる辺り、南岸の河岸段丘上にある。村域北部からは弥生中期の土器のほか、天平時代の瓦も出て、釈迦堂跡とよばれ、西方丘陵には同時代の瓦窯二基も発見されている。「神鳳鈔」に「八野御厨」と現れる。江戸時代を通じて亀山藩領。享保二年(一七一七)戸数四一、人数一七〇、馬九、牛二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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