公孫述(読み)こうそんじゅつ(英語表記)Gōng sūn Shù

精選版 日本国語大辞典 「公孫述」の意味・読み・例文・類語

こうそん‐じゅつ【公孫述】

  1. 中国、後漢初期の群雄の一人。字(あざな)は子陽。王奔の時、蜀王となり、二五年天子と称して、都を成都国号成家元号を龍興と定める。のち、光武帝の将呉漢の軍と戦って敗死し、成家は滅亡した。三六年没。

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改訂新版 世界大百科事典 「公孫述」の意味・わかりやすい解説

公孫述 (こうそんじゅつ)
Gōng sūn Shù
生没年:?-36

中国,後漢初期の群雄。茂陵(陝西省興平県)の人。字は子陽。王莽おうもう)のとき導江卒正(蜀郡太守)であった彼は成都で自立して蜀王となり,25年(建武1)には天子と称し,国号を成家,元号を竜興と定めた。物資ゆたかな蜀の地を基盤として数十万の兵を擁し,光武帝の後漢王朝成立以後も西方において独立勢力を形成していた。しかし光武帝が東方を平定してこの地に進軍してくると形勢ふるわず,ついに36年に後漢の将呉漢に敗れて殺され,一族は滅ぼされた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「公孫述」の意味・わかりやすい解説

公孫述
こうそんじゅつ
(?―36)

中国、前漢・後漢(ごかん)交代期の軍閥の一人。字(あざな)は子陽。長安近郊の茂陵(もりょう)の人。王莽(おうもう)の時代に蜀(しょく)郡太守となり、その地の豊かさを頼りに自立して、まず、蜀王と称し成都(四川(しせん)省)に都を置いた。ついで劉秀(りゅうしゅう)(光武帝)が帝位についた25年、天子を称して成家(成王朝の意)を建てた。甘粛(かんしゅく)省一帯で勢力を得ていた隗囂(かいごう)と結んで10余年にわたり後漢と対抗したが、内政にみるべきものはなく、やがて大司馬呉漢(だいしばごかん)の軍に破られて、一族とともに滅亡した。

尾形 勇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「公孫述」の意味・わかりやすい解説

公孫述
こうそんじゅつ
Gong-sun Shu; Kung-sun Shu

[生]?
[没]建武12(36)
中国,後漢時代の群雄の一人。扶風,茂陵 (陝西省興平県) の人。字は子陽。初め王莽に仕えたが,王莽末年に更始帝が反乱を起したとき,蜀において独立。建武1 (25) 年,成家国を建てた (在位 25~36) が,後漢の光武帝の軍に敗れ,滅亡。

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世界大百科事典(旧版)内の公孫述の言及

【鉄銭】より

…中国において王朝の主要な通貨であった銅銭はしばしば需要に対応できず,窮余の策として鉄をもって鋳造することがあった。一般には王莽(おうもう)の新朝の末に蜀(四川)で自立した公孫述が鉄製の五銖銭を鋳造したのが鉄銭の始まりとされるが,近年では湖南省の前漢墓から鉄製の四銖半両銭が出土しており,埋葬用に作られたのでなければ,これが最も古い鉄銭ということになろう。歴史上著名な鉄銭としては南朝梁,唐・宋代の四川(蜀)で作られたものが挙げられるが,清の咸豊年間の鉄銭もよく知られている。…

【白帝城】より

…中国,四川省の東,湖北省界に近い地名。王莽(おうもう)のとき,この地の井戸から白竜の出るのを見,公孫述(?‐36)が漢の土徳をつぐと称して白帝を名のり,城を築いたのが始まりという。三国蜀の劉備は,呉を討つためみずから遠征したが,敗れて白帝城に退き名を永安と改め,この地で没した。…

※「公孫述」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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