日本歴史地名大系 「六郎谷村」の解説 六郎谷村ろくろうだにむら 富山県:中新川郡立山町六郎谷村[現在地名]立山町六郎谷白岩(しらいわ)川右岸の谷間に位置する山村で、南は目桑(めつか)村、北は上白岩村。村名は永禄年間(一五五八―七〇)に越後国刈羽(かりわ)郡柏崎(かしわざき)村(現新潟県柏崎市)から轆轤を生業とする者が移り住み、轆轤谷と称するようになったことが起りといわれる(五百石地方郷土史要)。天正一八年(一五九〇)一二月二三日の口米請取状(翁家文書)に「井見ノ庄六ろ谷」として、小五郎の名がみえる。慶長四年(一五九九)一二月四日には左京なる者が六路谷村小二郎の山銭六匁のうち一〇分の一を受取っている(「山銭請取状」同文書)。 六郎谷村ろくろだにむら 富山県:小矢部市六郎谷村[現在地名]小矢部市六郎谷須川(すがわ)村の北、稲葉(いなば)山(三四六・九メートル)山中の村。村名は平家の落人が当地に居住し轆轤(木地)を業としたことから轆轤谷と称し、のちに改字したという(元禄一四年「村名由来記」川合家文書)。慶長一〇年(一六〇五)の検地打渡状(川合家文書)に六路谷村とみえ、反別三町三反余・高四九石余。元和五年(一六一九)の家高新帳に「六呂谷」とみえ、役家数四、三日市組に属する。正保郷帳でも高四九石余、田方二町九反余・畑方三反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by