兵庫新田(読み)ひようごしんでん

日本歴史地名大系 「兵庫新田」の解説

兵庫新田
ひようごしんでん

[現在地名]八千代町兵庫

山(やま)川の東に位置。西には「続日本紀」神護景雲二年(七六八)八月一九日条にみえる鬼怒(きぬ)川の決壊路といわれる川跡があり、東の鬼怒川旧河道とに挟まれた南北に長い自然堤防上の集落を中心に形成。北は佐野(さの)村。小字は一三あるが、柳町(やなぎまち)を除いてはすべて真菰田(まこもだ)・堤口(つつみぐち)・葭田(よしだ)・悪水縁(あくすいぶち)など水郷を表す地名。俗に溜井(ためい)ともよばれ享保期(一七一六―三六)に開発された。同一四年に勘定奉行筧正鋪の検地があり、境町(現猿島郡境町)の兵庫の一人請新田として成立。村高は二二八・一二七石(飯湖新発記)。

この地方の天明期(一七八一―八九)の凶作の被害は大きく、潰百姓が多く出た。幕府代官はその復興に心学の力を借りようとし、御用留(田辺家文書)に

<資料は省略されています>

とみえている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報