日本歴史地名大系 「兼山村」の解説
兼山村
かねやまむら
北東から南西へ流れる木曾川南岸に細長く延びる村で、可児郡の北端にあたり、東は
慶長郷帳では金山村とみえ高一四九石余、幕府領。元和元年(一六一五)尾張藩領となる。正保郷帳では兼山村とあり、田二五石余・畑一二四石余、新開田八〇石余・新開畑一九二石余。大川船渡・松山があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北東から南西へ流れる木曾川南岸に細長く延びる村で、可児郡の北端にあたり、東は
慶長郷帳では金山村とみえ高一四九石余、幕府領。元和元年(一六一五)尾張藩領となる。正保郷帳では兼山村とあり、田二五石余・畑一二四石余、新開田八〇石余・新開畑一九二石余。大川船渡・松山があった。
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