日本歴史地名大系 「内垣村」の解説 内垣村うちがきむら 福岡県:京都郡犀川町内垣村[現在地名]犀川町内垣下高屋(しもたかや)村の東にあり、祓(はらい)川西岸、英彦(ひこ)山から延びて豊津(とよつ)台地へと続く山地の東麓に立地。北は節丸(ふしまる)村(現豊津町)。「島津家久上京日記」天正三年(一五七五)三月六日条によると、島津家久は彦山参詣後小倉に向かい、「ほはしら」を経て「紀伊の内うら墻といへる村」で一泊している。これは城井(きい)の内の「うら墻」(内垣)とみられる。 内垣村うちがきむら 京都府:竹野郡丹後町内垣村[現在地名]丹後町吉永(よしなが) 内垣吉永村の東方に位置し、力石(ちからいし)川が流れる。初め吉永村の内で、延宝三年郷村帳に「吉永村内垣」高四六・四一三石とみえ、天和元年宮津領村高帳に初めて「内垣村」高五八・五五石と出る。宮津藩領であったが、寛文六年(一六六六)幕府領(吉永村として)、同九年宮津藩領、延宝八年(一六八〇)幕府領、翌年宮津藩領、享保二年(一七一七)幕府領と変遷。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by