円応寺跡(読み)えんのうじあと

日本歴史地名大系 「円応寺跡」の解説

円応寺跡
えんのうじあと

[現在地名]佐用町円応寺

円応寺にあった臨済宗寺院。正称は北山円応禅寺。当地はもと福地ふくちと称していたという(享徳元年宝洲衆首座住円応山門疏「村庵稿」内閣文庫蔵)暦応(一三三八―四二)初年に京都東福寺の大朴玄素を開山住持として創建された(延宝伝灯録)。「本朝高僧伝」には暦応二年建立とある。玄素は同年赤松円心が草創した法雲ほううん(現上郡町)の開山に招かれたが、これを雪村友梅に譲り、円応寺に住したという(延宝伝灯録)


円応寺跡
えんのうじあと

[現在地名]河芸町西千里

円応寺集落のほぼ中央にあり、山号を吉祥山といい、もと真言宗大覚寺末で、延応寺とも書く。「布留屋草紙」に「空海開基、文治年中尾前七郎領主」と載せるが確証はない。しかし相当な規模の寺院であったことは間違いなく、応安元年(一三六八)九月八日付の伊勢国栗真庄熊野田裁許状写(米良文書)のなかに「円応寺」の名がみえるだけでなく、「親長卿記」文明五年(一四七三)二月一二日条に、

<資料は省略されています>

とあって、延応寺はこの年の二月、将軍足利義政の嫡子義尚の祈願所とされたが、天皇の勅願寺にしてもらいたいと申出て、勅裁を得たことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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