円満寺村(読み)えんまんじむら

日本歴史地名大系 「円満寺村」の解説

円満寺村
えんまんじむら

[現在地名]花巻市円万寺えんまんじ

豊沢とよさわ川より取水した大口おおくち溝が西から東に流れ、北西奥羽山脈の麓からなだらかな傾斜をなす。東は北万丁目きたまんちようめ村、南西は西晴山にしはれやま村。円万寺村とも記した。「岩手県金石志」に、応仁二年(一四六八)八月一三日の年紀をもつ円満寺鐘銘として「円満寺沙弥(中略)大檀那稗貫城主藤原千夜叉丸」が載る。同日は稗貫広信の子が没して円満寺へ送葬された日という。


円満寺村
えんまんじむら

[現在地名]甲府市大里町おおさとちよう

窪中島くぼなかじま村の東、古上条ふるかみじよう村の南にある。「一蓮寺過去帳」には年は未詳だが室町期の円阿弥陀仏に円満寺の注記がある。村名の由来ともなった臨済宗妙心寺派円満寺は一四世紀後半の創建という(寺記)窪中島村から東の二日市場ふつかいちば村へつながる道の中ほどに家居があった。慶長六年(一六〇一)の円満寺村検地帳(県立図書館蔵)では田九町五反余・畑三町九反余、桑二把、屋敷四反余。慶長古高帳では高二二七石余。貞享元年(一六八四)の検地帳(県立図書館蔵)では高二〇七石余、反別は田一〇町五反余・畑一町七反余・屋敷六反余。享保九年(一七二四)から幕府領上飯田代官支配。宝暦一二年(一七六二)も同代官支配(「裁許写」小野宏家文書)


円満寺村
えんまんじむら

[現在地名]舞鶴市字円満寺

高野たかの川の右岸田辺たなべ城を挟んで東北と西南に円満寺村の地籍がある。天正年間(一五七三―九二)細川藤孝の田辺城構築によって村の耕地が分断された結果である。一部の農民喜多きた村に移住したと伝える。

旧語集に「往古当村大村なりし、此村を均して今の御城築く」とあり、また「当城細川公縄張之由、門より東南之方円満寺村之田畑也」と記される。

古代には田辺郷(和名抄)の地であったと考えられる。慶長検地郷村帳にはその名はみえないが、同帳田辺郷一九九石七斗のうちに含まれるものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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