円満寺跡(読み)えんまんじあと

日本歴史地名大系 「円満寺跡」の解説

円満寺跡
えんまんじあと

[現在地名]平戸市野子町

志々伎しじき山の中腹にあった真言宗寺院の跡。志々伎しじき神社の別当寺で、同社の中都なかつ宮に隣接していた。文永年間(一二六四―七五)僧坊数などを記した際すでに開基の記載がなかったという(元禄五年「寺院改帳」志々伎神社蔵)。永禄二年(一五五九)志自岐の中心となる社殿の中都宮が山頂近くから中腹に移されたと伝える。のち退転していたが、寛永一一年(一六三四)平戸藩主三代松浦隆信の代に志々伎神社の別当寺として再興されている。


円満寺跡
えんまんじあと

[現在地名]奈良市七条町

奈良市七条町付近にあったとされる寺院。「西大寺田園目録」に「添下郡右京八条三坊八坪内一段自西四段目、円満寺ノ南ニアリ」、元亨四年(一三二四)七月九日の因明談義料田注文(春日大社文書)に「ニシノキヤウ エムマムシ」とあり、平城京右京八条三坊八坪北方に円満寺が存在した。文久三年(一八六三)北浦定政が著した「平城旧跡之図」では天満神社傍らに円満寺が示されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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