切幡城跡(読み)きりはたじようあと

日本歴史地名大系 「切幡城跡」の解説

切幡城跡
きりはたじようあと

[現在地名]市場町切幡

切幡寺の門前集落の南方にある平城。史料上は切畑城などとも記され、所在地からかみ城ともよばれる。西にかき谷、東に観音かんのん谷があり、城の南で谷が合流する地形を利用している。北側に長さ約一〇〇メートル、幅約五メートルの空堀が残っていた。切幡寺の裏の観音(二八一・五メートル)山頂部にも山城があり、詰城であったと伝える。一説に鎌倉期に小笠原直寛が築いたと伝えるが、つまびらかではない。戦国期には森氏が在城。両細川家の乱に畿内に出兵した阿波の国衆のなかに森氏がみえ、享禄五年(一五三二)一月二二日早朝、三好一秀を大将とする軍勢三千余騎とともに「森飛騨」が京に攻め上り、柳本甚次郎を討っている(細川両家記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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