前川太郎兵衛(読み)マエカワ タロベエ

20世紀日本人名事典 「前川太郎兵衛」の解説

前川 太郎兵衛(2代目)
マエカワ タロベエ

明治・大正期の実業家 東京瓦斯紡績初代社長。



生年
嘉永5年1月27日(1852年)

没年
大正15(1926)年3月23日

出生地
近江国犬上郡高宮村(滋賀県)

別名
幼名=新助,信次郎

経歴
寺子屋で学んだ後、日本橋堀留で織物問屋を営んでいた叔父・初代前川太郎兵衛の下へ奉公に出る。文久2年(1862年)叔父の養嗣子となり、明治15年2代目前川太郎兵衛を襲名。この間、横浜から輸入される綿糸布を扱って利益を上げ、13年頃には本店の運営を任された。29年東京瓦斯紡績の初代社長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「前川太郎兵衛」の解説

前川太郎兵衛

没年:昭和1.3.23(1926)
生年:嘉永5.1.27(1852.2.16)
明治大正期の実業家。農業,商業を営む前川善平の3男として近江国(滋賀県)犬上郡高宮村に生まれる。幼名新助,信次郎。京都の綿布商前川弥助,大阪の綿糸布商前川善三郎は実兄。寺子屋で学んだのち,上京して日本橋堀留の織物問屋で叔父の初代近江屋前川太郎兵衛に奉公し,文久2(1862)年その養嗣子となる。横浜から輸入される綿糸布の取り扱いで慶応2(1866)年ごろより利益をあげた。明治13(1880)年ごろ本店の運営を任され,15年2代太郎兵衛を襲名。日比谷平左衛門の懇請により29年東京瓦斯紡績の初代社長に就任したが,その他の会社との関係には熱心でなかった。家屋や商品に保険を一切付けなかったという。<参考文献>神田彦三郎編『商傑前川太郎兵衛翁』

(阿部武司)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前川太郎兵衛」の解説

前川太郎兵衛 まえかわ-たろべえ

1829-1910 幕末-明治時代の実業家。
文政12年11月生まれ。江戸にでて各種織物の小売・卸業で財をなし,大坂,小樽(おたる)などにも進出慈善・公共事業にも尽力。株式会社をみとめず,家屋・商品に保険をかけないなど,奇傑豪商として知られた。甥(おい)の信次郎を養子とし,明治15年2代太郎兵衛を襲名させた。明治43年11月29日死去。82歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身
格言など】容易に金銭を人に貸さず,貸せばすなわち償還の見込みなきものとして生涯これを督促せず(信条)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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