剣持勇(読み)ケンモチ イサム

20世紀日本人名事典 「剣持勇」の解説

剣持 勇
ケンモチ イサム

昭和期のインテリアデザイナー 多摩美術大学教授。



生年
明治45(1912)年1月2日

没年
昭和46(1971)年6月3日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京高等工芸学校木材工芸科〔昭和7年〕卒

主な受賞名〔年〕
ブリュッセル万国博金賞〔昭和33年〕,毎日美術デザイン賞(第9回)〔昭和38年〕,イタリア・イエロドムス賞〔昭和44年〕,日本インテリアデザイナー協会賞〔昭和46年〕

経歴
昭和7年商工省工芸指導所に入り、翌年来日したブルーノ・タウト師事。25年新制作協会会員。27年産業工芸試験所意匠部長。同年アメリカ留学後、30年独立して剣持勇デザイン研究所を設立。“ジャパニーズ・モダン”というデザイン理念を提唱。31年日本室内設計家協会を結成。34年から多摩美大教授、共立女子短大講師などを歴任。33年ブリュッセル万国博の「日本館」でグランプリ。「籐丸椅子」「ステンレスの椅子」「クロームメッキの椅子」など受賞作は多く、特に39年の「籐丸椅子」はニューヨーク近代美術館の永久保存に指定された。46年の「京王プラザホテル」のインテリアデザインが最後の作品。遺稿集「剣持勇の世界」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「剣持勇」の意味・わかりやすい解説

剣持勇
けんもちいさむ
(1912―1971)

工業デザイナー家具やインテリアの分野で日本に真の近代化をもたらした。東京生まれ。1932年(昭和7)東京高等工芸学校卒業。商工省工芸指導所(戦後は産業工芸試験所)に入り、ここでブルーノ・タウトに啓発されたことがある。55年(昭和30)に剣持勇デザイン研究所を開いて以来の活躍は目覚ましく、つねに日本独自の文化とのかかわりのなかで近代デザインを推進させようとする姿勢を失わなかったが、日本的デザインを求めて苦悩のすえ自殺した。数多い仕事のなかで、ニューヨーク近代美術館永久保存となった「籐丸椅子(とうまるいす)」(1964)や、「京王プラザホテル」室内設計(1971)などがあげられる。作品や著述の全資料は『剣持勇の世界』(1975・河出書房新社)に収められている。

[高見堅志郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「剣持勇」の解説

剣持勇 けんもち-いさむ

1912-1971 昭和時代のデザイナー。
明治45年1月2日生まれ。商工省工芸指導所でブルーノ=タウトの影響をうける。昭和28年ジャパニーズ-モダンをとなえ,30年デザイン研究所を設立。近代インテリアデザイナーの草分け。34年多摩美大教授。昭和46年6月3日死去。59歳。東京出身。東京高等工芸(現千葉大)卒。代表作に「籐(とう)丸椅子」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「剣持勇」の解説

剣持 勇 (けんもち いさむ)

生年月日:1912年1月2日
昭和時代のインテリア・デザイナー。多摩美術大学教授
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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