功徳寺(読み)くどくじ

日本歴史地名大系 「功徳寺」の解説

功徳寺
くどくじ

[現在地名]高野町新市

神之瀬かんのせ川東方にあり千秋山万歳院と号し、曹洞宗本尊聖観音。「芸藩通志」は、寺号は蔀山しとみやま城主多賀山通続の法名によるかとし、開山は僧徳翁とする。寺伝は、弘仁元年(八一〇)空海が全国をめぐった際、当地に真言宗の寺院として創建したものが始まりという。承久の乱に敗れ隠岐に流された後鳥羽上皇が当寺にしばらく滞在したとの伝えがあり、「芸藩通志」に「ここも皇居にてありしといふ、堂の作り他にたがひて殊勝なり」とある。さらに、当寺の東方にある蔀山の紅葉を賞した上皇の歌一首(芸藩通志)、上皇ゆかりの勅額「万歳院」一面、硯一面、装束布地、道中用銀蒔絵箸が伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む