日本歴史地名大系 「加喜ノ浦」の解説
加喜ノ浦
かきのうら
五島灘にある蠣浦島を村域とする。北東は
寛永年間(一六二四―四四)に鯨組が進出、西海捕鯨の基地として賑いをみせた。延宝元年(一六七三)深沢儀平次重昌は鯨組の居浦とすることを大村藩から許され、貞享二年(一六八五)まで六年にわたって当浦など四ヵ浦の鯨運上を年三〇貫目ずつ納めたという(九葉実録)。これより先平戸藩領や肥前唐津藩領および紀伊和歌山藩領の鯨組一〇組の居浦となっており、元禄四年(一六九一)の由緒書上(大村見聞集)には鯨組として長崎九左衛門組・藤城与兵衛組・平戸松長吉左衛門組・平戸領大島又兵衛組・唐津名護屋庄兵衛組・先深沢儀太夫組など一四組がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報