加納久通(読み)かのうひさみち

改訂新版 世界大百科事典 「加納久通」の意味・わかりやすい解説

加納久通 (かのうひさみち)
生没年:1673-1748(延宝1-寛延1)

江戸中期の幕臣,政治家。通称孫市のち角兵衛。近江守のち遠江守。紀州徳川家家臣吉宗について幕府に入り,同じく紀州からの家臣有馬氏倫(うじのり)と2人で側用取次となり,吉宗のブレーンとして享保改革を指導する。氏倫が切れ者できつい性格であったのにたいし,久通は温和重厚でよく氏倫の欠点を補ったといわれる。1726年(享保11)万石に列せられ,45年(延享2)若年寄となり,大御所吉宗に付属される。
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関連語 大石

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加納久通」の解説

加納久通 かのう-ひさみち

1673-1748 江戸時代中期の大名
延宝元年生まれ。紀伊(きい)和歌山藩主徳川吉宗につかえる。吉宗の8代将軍就任とともに幕臣となり,享保(きょうほう)11年(1726)伊勢(いせ)(三重県)東阿倉川藩主加納家初代(1万石)となる。有馬氏倫(うじのり)とともに側用取次をつとめ,享保の改革には,氏倫と協力して指導的役割をはたした。吉宗の将軍辞任後も,若年寄としてつかえた。寛延元年8月19日死去。76歳。通称は孫市,角兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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