加藤政之助(読み)カトウ マサノスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「加藤政之助」の解説

加藤 政之助
カトウ マサノスケ


肩書
衆院議員(憲政会)

生年月日
嘉永7年7月(1854年)

出生地
武蔵国(埼玉県)

学歴
慶応義塾

経歴
明治11年大阪新報主幹、14年北海道官有物払い下げに反対、また報知新聞に拠り自由民権を唱えた。13年埼玉県議、15〜23年県会議長、25年以来衆院議員当選12回。改進系に属し、憲政本党常議員、大蔵参政官、憲政会政調会長、総務などを務めた。昭和2年勅選貴族院議員。他に出羽石油会社、函館馬車鉄道各社長、東上鉄道取締役、東京家畜市場社長、大東文化学院総長などを歴任した。著書に「西洋穴探」「欧米婦人の状態」「世界大観と新日本の建設」「回天綺談」などがある。

没年月日
昭和16年8月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「加藤政之助」の解説

加藤 政之助
カトウ マサノスケ

明治〜昭和期の新聞人,政治家 衆院議員(憲政会)。



生年
嘉永7年7月(1854年)

没年
昭和16(1941)年8月2日

出生地
武蔵国(埼玉県)

学歴〔年〕
慶応義塾

経歴
明治11年大阪新報主幹、14年北海道官有物払い下げに反対、また報知新聞に拠り自由民権を唱えた。13年埼玉県議、15〜23年県会議長、25年以来衆院議員当選12回。改進系に属し、憲政本党常議員、大蔵参政官、憲政会政調会長、総務などを務めた。昭和2年勅選貴族院議員。他に出羽石油会社、函館馬車鉄道各社長、東上鉄道取締役、東京家畜市場社長、大東文化学院総長などを歴任した。著書に「西洋穴探」「欧米婦人の状態」「世界大観と新日本の建設」「回天綺談」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤政之助」の解説

加藤政之助 かとう-まさのすけ

1854-1941 明治-昭和時代前期の政治家。
嘉永(かえい)7年7月生まれ。「郵便報知新聞」「大阪新報」などによって自由民権をとなえる。明治25年衆議院議員(当選12回)。立憲改進党,憲政本党,憲政会などに属した。昭和2年貴族院議員。東上鉄道取締役など実業界でも活躍。昭和16年8月2日死去。88歳。武蔵(むさし)滝馬室村(埼玉県)出身。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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