朝日日本歴史人物事典 「加藤貞泰」の解説
加藤貞泰
生年:天正8(1580)
江戸初期の大名。伊予国(愛媛県)大洲藩藩主。父は光泰,母は一柳藤兵衛尉の娘。近江国磯野村(滋賀県伊香郡高月町)生まれ。光長ともいう。文禄3(1594)年,甲斐国府中24万石を襲封したが,石田三成と父光泰が生前不仲であったため,若年を理由に美濃国黒野4万石に減転封された。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では,東軍に属して西軍の島津氏らと激戦を繰り返した。15年,2万石を加増されて合わせて6万石となり,伯耆国(鳥取県)米子に転封。大坂の陣(1614,15)にも出陣し功をたてた。元和3(1617)年大洲6万石に転封となり,同藩の初代藩主となる。馬術に長じ,連歌を好むなど,風雅の嗜みのある人物であった。江戸で死去。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報