改訂新版 世界大百科事典 「加藤光泰」の意味・わかりやすい解説
加藤光泰 (かとうみつやす)
生没年:1537-93(天文6-文禄2)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(二木謙一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…まもなく本能寺の変後起こった一揆により秀隆が誅滅されたあと,甲斐をねらう後北条氏との係争に勝利を得て入国した徳川家康は,平岩親吉を甲府城代に任命した。90年家康が関東に移されると羽柴秀勝が封ぜられ,翌年には加藤光泰にかわった。さきに家康の命をうけて親吉により着手されていた甲府築城の工事は光泰にうけつがれ,さらに93年(文禄2)受封,入国した浅野長政・幸長(よしなが)父子の時代に完成,城下町甲府の形成も進められた。…
※「加藤光泰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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