労役場(読み)ロウエキジョウ(英語表記)workhouse

翻訳|workhouse

デジタル大辞泉 「労役場」の意味・読み・例文・類語

ろうえき‐じょう〔ラウエキヂヤウ〕【労役場】

罰金または科料を完納できない者を収容して労役に従事させる場所刑務所に付設される。

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精選版 日本国語大辞典 「労役場」の意味・読み・例文・類語

ろうえき‐じょう ラウエキヂャウ【労役場】

〘名〙 刑務所内に付設して、罰としての労役を課する所。
刑法(明治四〇年)(1907)一八条「罰金を完納すること能はさる者は一日以上一年以下の期間之を労役場に留置す」

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改訂新版 世界大百科事典 「労役場」の意味・わかりやすい解説

労役場 (ろうえきじょう)
workhouse

イギリス救貧法で有能貧民を組織的に稼働させるために,17世紀後半から設けられた施設。救貧院,懲治院などともいう。1722年労役場テスト法(ナッチブル法)では,怠惰を戒め救貧費の縮減を目ざして,有能貧民の労働意欲を労役場でテストし,その労役場以外のすべての救済を抑制しようとしている。労役場は喫煙飲酒を認めず,許可なしの外出を禁じ,能力に応じた労働を課するなど,有能貧民の自由を束縛し,嫌悪,恐怖を与える,いわば〈第二の牢獄〉となった。やがて有能貧民は入所を嫌い,老人,病人,児童などをも併せて収容する一般混合労役場が多くみられるようになり,その道徳的退廃や非人道的行為などが批判の対象となるにいたった。1834年改正救貧法は,労役場テスト法の復活を意図し,そこに有能貧民を入所させ,被救済者は救済を受けない最下層の者の生活よりも低い処遇を受けるという劣等処遇less eligibilityの原則を実現する装置としようとした。しかしその意図は必ずしも成功したとはいえない。
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世界大百科事典(旧版)内の労役場の言及

【救貧制度】より

…これらの貧民は,中世における無能力貧民ではなく,盗賊ともなりかねない労働能力をもつ貧民であり,その数もはるかに多く,国家の力をあげて組織的に対処せざるをえなかった。救貧法は近代的制度の嚆矢(こうし)とされるが,その集大成である1601年のエリザベス救貧法は,教(会)区parishを行政単位として,有能貧民と無能貧民に分け,有能貧民と児童とは労役場work house,懲治監house of correction,一般監獄などで懲罰を加えてまで就労を強制し,無能貧民は保護する,というものであった。 その後,居住制限法(1662),労役場テスト法(1722),ギルバート法(1782)の制定や1795年のスピーナムランド制度の導入など,救貧制度にはいくたの変遷が見られたが,産業革命進展の結果,有能貧民は産業労働者と化し,救貧法の抑圧管理の性格は不要となった。…

【行刑】より

…これはプロテスタンティズムと重商主義の影響を背景にヨーロッパ各地に広がった。この懲治場house of correctionは,浮浪者を犯罪者予備軍として対象にする点で,救貧対策上のワークハウスwork houseとは起源を異にしていた(イギリスの1609年法は前者に対して単なる改善的処遇のかわりに刑罰的懲戒を権限づけた)。しかし,やがて両者は融合し,軽罪者をも収容しつつ旧来の牢獄jailとも融合していった。…

【ギルバート法】より

…この法は,教区連合をつくることによって行政区を拡大し,貧民行政の合理化と貧民処遇の改善を目的としていた。そのために労役場workhouseを老人・病人・孤児など労働能力のない貧民の救済施設と規定し,労働の意思と能力のある貧民については,原則として居宅で救済を行った。彼らに対しては,まず救済委員が仕事の斡旋を行い,仕事がみつからない場合には,その間保護を与えた。…

【社会保障】より

…大量の貧民が発生した絶対王制下のイギリスではエリザベス女王治下の1601年に救貧法を制定し,さらに産業革命の進展のなかで多くの変遷を経て1834年に改正救貧法が生まれ極貧者の救済が行われた。自由放任主義が時代の原理であったから貧困は個人の責任であると考えられ,労働能力のある貧民が救貧を求めるときには,労役場workhouseに強制収容されて過酷な労働に服さざるをえなかった。さらにその処遇は,最下層の独立労働者の生活以下におさえる劣等処遇less eligibilityの原則によって監獄的生活を強いられ,人間的自由を束縛するなどの厳しい制裁的措置がとられた。…

【居宅保護・施設保護】より

…例えば,イギリスで1601年に成立したエリザベス救貧法は,院外救済を原則としていた。だが,求援抑制的効果を一般的に期待した1834年の新救貧法では,低位性の原則(保護を必要とする貧民の処遇は,一般の労働者の生活よりも低い水準で与えられる必要があるとする考え方)を基本とした労役場workhouseへの収容を前提とする院内救済が実施されることになった。しかし19世紀後半以降,労役場への批判が強まり,1909年の王命委員会報告書において労役場への収容保護は否定され,居宅での貧困救済を基本的な方法とすることが確認された。…

【ギルバート法】より

…この法は,教区連合をつくることによって行政区を拡大し,貧民行政の合理化と貧民処遇の改善を目的としていた。そのために労役場workhouseを老人・病人・孤児など労働能力のない貧民の救済施設と規定し,労働の意思と能力のある貧民については,原則として居宅で救済を行った。彼らに対しては,まず救済委員が仕事の斡旋を行い,仕事がみつからない場合には,その間保護を与えた。…

【社会保障】より

…大量の貧民が発生した絶対王制下のイギリスではエリザベス女王治下の1601年に救貧法を制定し,さらに産業革命の進展のなかで多くの変遷を経て1834年に改正救貧法が生まれ極貧者の救済が行われた。自由放任主義が時代の原理であったから貧困は個人の責任であると考えられ,労働能力のある貧民が救貧を求めるときには,労役場workhouseに強制収容されて過酷な労働に服さざるをえなかった。さらにその処遇は,最下層の独立労働者の生活以下におさえる劣等処遇less eligibilityの原則によって監獄的生活を強いられ,人間的自由を束縛するなどの厳しい制裁的措置がとられた。…

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