勝山浦(読み)かつやまうら

日本歴史地名大系 「勝山浦」の解説

勝山浦
かつやまうら

[現在地名]鋸南町勝山

(浦賀水道)に臨み、沖合約一〇町に天然の防波堤ともいうべきうき島がある。浜は二ヵ所あり、北を二浜にはま、南を内宿うちじゆくという。古くから入海(東京湾・浦賀水道)の主要な湊として機能していたと推定され、戦国期には湊を取囲むように勝山城が築かれていた。近世には漁港としてまた年貢津出場として内房有数の湊であった。延宝二年(一六七四)安房を訪れた徳川光圀は「甲寅紀行」に勝山へ船で向かった時、案内の船一四、五艘が飾り立てて出迎えたと記している。元禄三年(一六九〇)の幕府廻米津出浦々河岸之道法并運賃書付(徳川禁令考)に勝山浦がみえ、江戸まで海上二二里、運賃は米一〇〇石につき二石三斗とある。

漁業も早くから盛んで、捕鯨術も慶長(一五九六―一六一五)以前にすでに紀州から伝えられていたという(捕鯨志)。正保三年(一六四六)には以前からの課役として、当浦を中心とした近隣七ヵ浦(勝山・岩井袋・吉浜・保田・久枝・高崎・小浦)で海請運上金一三〇両・海士運上金三〇両・水主役金四〇両を負担しており、この年さらに買運上金三〇両を加えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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