日本歴史地名大系 「勝岡」の解説 勝岡かつおか 宮崎県:北諸県郡三股町勝岡戦国時代からみえる地名。江戸時代の蓼池(たでいけ)村は勝岡村とも記されることから、中世の勝岡は現三股町蓼池付近に比定される。蓼池の牛(うし)ヶ廻(まわり)に勝岡城跡があり、空堀の存在が知られる。享禄三年(一五三〇)頃には、勝岡城は山之口(やまのくち)城(現山之口町)・高(たか)城(現高城町)・梶山(かじやま)城などとともに伊東氏が確保した庄内三俣(しようないみまた)の八外城の一つとされていた(年未詳「先代日向一国時支配覚」予章館文書)。伊東氏は永正一七年(一五二〇)に勝岡の攻略を開始し、やがて梶山を拠点に都城の町屋に進撃している(日向記)。永正年間末頃には勝岡は高城・山之口・梶山とともに伊東氏の知行下にあった(年未詳「北郷家家譜写」北郷文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝岡」の解説 勝岡 かつおか ?-? 平安時代中期の力士。後一条天皇(在位1016-36)のころの人。宮中儀式の相撲節会(すまいのせちえ)に出場し,公卿(くぎょう)藤原実資(さねすけ)にひいきにされたという。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by