日本歴史地名大系 「勝竜寺城跡」の解説
勝竜寺城跡
しようりゆうじじようあと
中世後期―近世初期の城館。平城。
暦応二年(一三三九)細川頼春が、南朝の拠点被
越候」とみえる。ここでも城館である確証はないが、守護畠山義就の郡代役所が置かれていたと思われ、やがてしだいに軍事施設も整えられていったようである。続く応仁の乱では、義就が西軍に属した関係から
勝竜寺搦手北之口合戦
仕、安富又次郎相供焼
落馬場并古市
」とみえる。同月一六日には山名弾正是豊(東軍)の手勢が勝竜寺へ向かった際、泰忠ら西岡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報