北大河原村(読み)きたおおかわらむら

日本歴史地名大系 「北大河原村」の解説

北大河原村
きたおおかわらむら

[現在地名]南山城村大字北大河原

蛇行西流する木津(きづ)川の北に位置し、村内を殿田(とんだ)川・浅子(あさご)川・渋久(しぶく)川が南流し木津川に注ぐ。

地名は「三代実録」貞観元年(八五九)五月二八日条に「山城国従五位下大川原国津神」とみえるのが早く、この国津神は当地に鎮座する国津(くにつ)神社のこととされる。また寛平八年(八九六)四月二日付太政官符(類聚三代格)に「応停止諸寺称採材山四至切勘居住百姓事」として、

<資料は省略されています>

とみえる。これによれば当地辺りは東大寺・元興(がんごう)寺・大安(だいあん)寺・興福寺(現奈良市)などの杣であったことが知れ、すでに集落が形成されていたことがわかる。木津川沿いの伊賀街道は京から伊賀に至る重要な道であり、近世の地誌「山城名勝志」は大河原を説明して「在有市村東自笠置一里半許、東伊賀伊勢道駅也」とし、一条兼良の「ふち河の記」には次のようにある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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