北山道郷(読み)きたせんどうごう

日本歴史地名大系 「北山道郷」の解説

北山道郷
きたせんどうごう

益田津田つだ町・大草おおくさ町・下種しもたね町・種村たねむら町・金山かねやま宇治うじなどの地域にあった、益田庄を構成する内部の単位所領。もとは弥富やとみ名の一部であったが、鎌倉期における弥富名の分割・縮小(小弥富名の成立など)契機として弥富名から分れ、かつ山道郷(東山道郷)との関係から、南北朝期に新しく成立したと考えられる。貞治五年(一三六六)一一月一八日の掃部助高弘吹挙状(益田家文書)に、益田本郷・弥富名などとともに益田兼見の本領の一つとして「東北両山道」を安堵するよう奉行所に要請がなされている。永和三年(一三七七)頃と推定される年未詳一〇月七日の益田祥兼置文(同文書)において、両山道の給人たちに惣領への奉公に努めるよう申置いた祥兼(兼見)は、永和四年二月三日に「ますたの庄内東北両山道」を益田庄本郷内土田つちだ村・伊甘いかみ郷とともに孫次郎兼弘に、また北山道の内の一部を弥次郎兼政にそれぞれ譲渡した(「益田祥兼譲状」同文書)。しかし永徳三年(一三八三)二月一五日に足利義満から本領安堵されたのを受けて(「足利義満安堵御教書」同文書)、祥兼は同年八月一〇日には先の譲渡を改め、嫡子兼世に益田本郷を譲渡する一方、次男兼弘に東山道郷、三男兼政に北山道郷をそれぞれ譲渡し直した(「益田祥兼置文」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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