北昤吉(読み)キタ レイキチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「北昤吉」の解説

北 昤吉
キタ レイキチ


肩書
衆院議員,自民党政調会長,多摩美術大学創立者,大東文化学院教授

別名
別名=礼華

生年月日
明治18年7月21日

出生地
新潟県佐渡

学歴
早稲田大学文学部哲学科〔明治41年〕卒

経歴
北一輝の弟。大正3〜7年早大講師、のち大東文化学院教授。7〜11年米国、ドイツに留学。大日本主義、アジア主義を唱え、14年「日本新聞」の創刊に参加、編集監督兼論説記者。昭和2年哲学雑誌「学苑」を創刊。3年祖国同志会を結成し、雑誌「祖国」を創刊、主宰した。この間、帝国音楽学校校長、大正大学教授を務め、10年多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)を創設。11年衆院議員に初当選、以来8回当選、民政党に所属。戦後自由党の結成に尽力。追放解除後、日本民主党、自由民主党議員として活動、自民党衆院懲罰委員長、政調会長など歴任。著書に「光は東方より」「哲学概論」、また「明治天皇御製」のドイツ訳書を刊行した。

没年月日
昭和36年8月5日

家族
兄=北 一輝(国家主義者)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「北昤吉」の解説

北 昤吉
キタ レイキチ

大正・昭和期の哲学者,政治家 大東文化学院教授;衆院議員;自民党政調会長;多摩美術大学創立者。



生年
明治18(1885)年7月21日

没年
昭和36(1961)年8月5日

出生地
新潟県佐渡

別名
別名=礼華

学歴〔年〕
早稲田大学文学部哲学科〔明治41年〕卒

経歴
北一輝の弟。大正3〜7年早大講師、のち大東文化学院教授。7〜11年米国、ドイツに留学。大日本主義、アジア主義を唱え、14年「日本新聞」の創刊に参加、編集監督兼論説記者。昭和2年哲学雑誌「学苑」を創刊。3年祖国同志会を結成し、雑誌「祖国」を創刊、主宰した。この間、帝国音楽学校校長、大正大学教授を務め、10年多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)を創設。11年衆院議員に初当選、以来8回当選、民政党に所属。戦後、自由党の結成に尽力。追放解除後、日本民主党、自由民主党議員として活動、自民党衆院懲罰委員長、政調会長など歴任。著書に「光は東方より」「哲学概論」、また「明治天皇御製」のドイツ訳書を刊行した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北昤吉」の解説

北昤吉 きた-れいきち

1885-1961 大正-昭和時代の哲学者,政治家。
明治18年7月21日生まれ。北一輝(いっき)の弟。国家主義をとなえ昭和3年雑誌「祖国」を創刊。10年多摩帝国美術学校(現多摩美大)創立に参加。11年以来衆議院議員(当選8回)。尾崎行雄らと大政翼賛会に反対した。戦後は日本自由党の結成につくす。昭和36年8月5日死去。76歳。新潟県出身。早大卒。著作に「光は東方より」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「北昤吉」の解説

北 昤吉 (きた れいきち)

生年月日:1885年7月21日
大正時代;昭和時代の政治家;哲学者。衆議院議員;多摩美術大学創立者
1961年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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