北海道農法(読み)ほっかいどうのうほう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北海道農法」の意味・わかりやすい解説

北海道農法
ほっかいどうのうほう

明治以後に開拓された北海道特有の農業技術体系のこと。北海道農業は他府県と比較して積雪寒冷地のため、農期間が短く自然条件が不利であることや、明治政府の北海道開拓事業が殖産興業政策の一環として、未開地の大規模開墾を中心に進められたことから、少ない労働力で広い面積を短期間に耕作することを目的とした独自の農業経営方式が求められた。北海道開拓使(1871年8月より開拓使に名称変更)は1871年(明治4)ホーレス・ケプロン、1876年W・S・クラークを招き、欧米諸国の農学・農業技術の導入を図った。

 しかし、プラウハローカルチベーターを使用しての欧米農法は北海道農業にはそのまま定着せず、明治40年代に、日本在来農法と混合した畜耕手刈(ちくこうてがり)(馬耕によるプラウ、ハローの畜力耕(こう)うんと鎌(かま)による手刈収穫)という独得の農法が確立した。また、品種では欧米系と府県の在来品種が、両方とも試作普及され、ジャガイモ、麦類、ビートタマネギ牧草ハッカなどが北海道の主要農産物となった。一方、原生的地力に依存する略奪連作耕作はしだいに、地力枯渇をもたらし荒廃地を激増させ、第一次世界大戦後、北海道農法の再編成をもたらすに至った。

 1920年(大正9)北海道庁は危機に瀕(ひん)した北海道農業の一大転換を図り、畑地の水田化、畑作の有畜経営、輪作の導入による地力造成を推進した。具体的には、デンマーク農業の有畜経営と、ドイツの農業・農産加工模範として奨励され、1927年(昭和2)から始まる「北海道第二期拓殖計画」では、「牛馬百万頭計画」が盛り込まれ、酪農振興が図られた。しかし、大半の零細小作経営においては、有畜化、輪作は浸透せず、金肥(きんぴ)、連作が一般的であり、昭和初期に連年続いた冷害大凶作の打撃を受けた。第二次世界大戦後、「農業基本法」による近代化政策でトラクター耕を中心とする農業機械化体系が導入され、1970年代に完備したが、無家畜化による化学肥料、連作のために戦前同様の構造的問題がおこっている。

[神田健策]

『北海道立総合経済研究所編・刊『北海道農業発達史』上下(1963)』

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