北牟田村(読み)きたむたむら

日本歴史地名大系 「北牟田村」の解説

北牟田村
きたむたむら

[現在地名]筑後市島田しまだ

中島なかしま村の西、花宗はなむね川左岸に位置する。中世水田みずた南島みなみしま村のうち。康永三年(一三四四)一〇月二五日の大鳥居信高宛行状(太宰府天満宮文書/南北朝遺文(九州編)二)に「北水田南嶋内北牟田」とみえ、犬江牟田いぬえむたとともに大輔公に給分として与えられた。その後、大鳥居信弁の時に「北水田庄本村之内北牟田」にあった鐘免田一町を質に入れ流してしまったので、永徳三年(一三八三)大鳥居信栄はこの給田を老松おいまつ(現水田天満宮)に寄進し、鐘撞に長吉坊喜幸を補任している(同年七月二五日「大鳥居信栄寄進状案」同文書/南北朝遺文(九州編)五)


北牟田村
きたむたむら

[現在地名]筑後市西牟田にしむた

鷲寺わしでら村の北に位置し、西は西牟田本村(現三潴町)三潴みづま郡に属し、本高は一八二石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高二一二石余・役高一七四石余。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一七二石。文化四年(一八〇七)畝付帳によると本田一一町三反余・開田二反余・畑田二反余・畑二町五反余・居屋敷一反余。旧高旧領取調帳の高二〇八石余。当村北東の高台には天和三年(一六八三)に完成した天堤上あまづつみかみ溜池・天堤下溜池、宝暦四年(一七五四)に完成した松尾まつお溜池がある。松尾溜池は当村の庄屋永田庄右衛門、西牟田町百姓久保藤左衛門の発起荒木あらき(広川)から取水する千間せんげん溝に井堰を設けて水を引き、天堤・孫太まごた(孫田)清導寺せいどうじなどの溜池にも貯水された。


北牟田村
きたむたむら

[現在地名]玉名市北牟田

菊池川(高瀬川)河口の三角洲平野の中央にある。西ははま町、北は河島かわしま村、南は大園おおぞの(現玉名郡横島町)に接する。寛永一〇年(一六三三)人畜改帳に「伊倉之内」として村名がみえ、田畠五一町三反九畝余・居屋敷牟田畠一町五畝余、大小御蔵ともの家数七〇・人数一一五、牛一六・馬四とある。小田手永に属した。元禄国絵図には「伊倉北方之内北牟田村」とみえる。宝暦一二年(一七六二)の下ケ名寄帳によれば畝数三八町三反六畝余・その他六畝余、高五二二石七斗余、下ケ名に三官などがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android