デジタル大辞泉
「北白川宮」の意味・読み・例文・類語
きたしらかわ‐の‐みや〔きたしらかは‐〕【北白川宮】
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きたしらかわ‐の‐みやきたしらかは‥【北白川宮】
- 旧宮家の一つ。明治三年(一八七〇)伏見宮智成(さとなり)親王が一家を興したのに始まる。昭和二二年(一九四七)廃止。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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北白川宮【きたしらかわのみや】
1870年創設の宮家。初代は伏見宮邦家(くにいえ)親王の第13男子智成親王。能久親王,成久王,永久王の順で継承され,1947年第1回皇室会議の決定で他の宮家とともに皇族を離脱。
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北白川宮
きたしらかわのみや
旧宮家の一つ。伏見宮邦家親王の王子智成 (ともなり) 親王が明治3 (1870) 年,一家を興し,この称を授けられ,以後能久親王,成久王,永久王によって受継がれた。 1947年皇族の身分を離れ,北白川家となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の北白川宮の言及
【宮家】より
…皇族諸家をいう。令制の皇親制度も中世に至ってまったく衰微し,皇子以下の一家を立て,これを維持することもまれとなった。この間にあって宮家として存立し,皇親の身分を相承したのは,いわゆる世襲親王家である。その初例は鎌倉中期,亀山天皇の皇子恒明親王を始祖とする常磐井(ときわい)宮で,室町中期まで6代にわたって存続した。これに次ぐのは後二条天皇の皇子邦良親王に始まる木寺宮で,室町中期まで6代にわたって存続した。…
【能久親王】より
…北白川宮第2代。伏見宮邦家親王の王子で,初め[輪王寺宮門跡]となり,法名を公現と称した。…
※「北白川宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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