北白川廃寺(読み)きたしらかわはいじ

日本歴史地名大系 「北白川廃寺」の解説

北白川廃寺
きたしらかわはいじ

平安京遷都以前に造営された寺院。昭和九年(一九三四)に東方建物基壇、同四九年と五〇年に塔基壇、塔の南西で基壇積土が発見されたが、これ以外の遺構は不明。遺構は白川の形成する扇状地上(京都市左京区北白川上終町・同区東瀬ノ内町)にあり、標高七五―八〇メートル、山城盆地中心部より約三〇メートル以上高く、盆地内を一望できる場所にある。東方建物は基壇が東西四三メートル、南北二三メートルで瓦積基壇である。地山上に割石を置いて地覆石とし、その上に一段扁平な石を積んだのち瓦を積み始める。上部へ行くほど内側へ傾斜し、ところどころに水抜き用の丸瓦一個を小口積みする。基壇の南北辺の中央には石階段各一ヵ所あり、残っている北辺の一段から階段基底部は基壇より約一・五メートル出ていて、当初は四段と推定された。また一段目の石材の間に山田寺式の重圏縁軒丸瓦が積込まれていた。なお基壇上面は削平されていて礎石や根石は発見できなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む