北関村(読み)きたのせきむら

日本歴史地名大系 「北関村」の解説

北関村
きたのせきむら

[現在地名]山川町北関

三峯みつみね村の南、飯江はえ川上流域のわし山西斜面にある。古来肥後国を経て薩摩国へ至る交通の要衝に位置し、関が設けられたといい、関の名は松風まつかぜ関・大津山おおつやま関・北関などがある。「平家物語」巻八(名虎)には寿永二年(一一八三)八月一七日、大宰府に着いた平家一門に従ってきた菊池二郎高直は、大津山関を明けると称して肥後に帰ったことが記される。天正三年(一五七五)に島津家久が薩摩から上京した際には、二月二八日「北関小市別当の所に一宿」している(島津家久上京日記)


北関村
きたせきむら

[現在地名]南関町関外目せきほかめ

北・東は関外目村、南は下原しもばる村と接する。近世は南関手永に属し、「国誌」に高一一七石余とある。文政五年(一八二二)南関手永略手鑑によると田五町一反一畝・畑六町九反六畝余、竈数一八・人数九四、馬一一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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