十七箇所(読み)じゆうしちかしよ

日本歴史地名大系 「十七箇所」の解説

十七箇所
じゆうしちかしよ

淀川中下流域左岸一帯に位置した、幕府料所の庄園群の総称。京都北野社領八箇所はつかしよ(現門真市ほか)が当時の深野ふこの(現大東市)西岸から北岸に位置するのに対し、当所はその北側、淀川左岸沿いに隣接した。なお「花営三代記」応安二年(一三六九)四月二二日条に河内守護楠木正儀が「河州十七箇所」に引き退いたとの記述がみえ、近世の著作物「南山巡狩録」の正平二四年(一三六九)三月二一日条にも同様の記事がみえるが、この十七箇所とここで述べる幕府御料所十七箇所との関係は不明。

大内氏が幕府に背いた応永の乱後の応永七年(一四〇〇)、上下の仁和寺にわじ庄など妙心寺領が幕府に没収されたのを契機に、その近辺の幕府闕所地をまとめて幕府御料所十七箇所として成立したと推定される(妙心寺史)。庄域は、上下の仁和寺庄や、「北野社家日記」明応二年(一四九三)二月二七日条によれば葛原くずはら庄を含むことは確実で、一方、興福寺の尋尊が描いた同年河内御陣図(福智院家文書)には森口もりぐち(現守口市守口)南方、八箇所の西方に「十七ケ所」が書込まれている。

正長元年(一四二八)管領兼河内・紀伊越中・伊勢守護の畠山満家が、その分国伊勢を山城に国替させられたとき、代償として幕府料所河内橘島たちばなしま(現八尾市)とともに当所の代官職を与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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