デジタル大辞泉 「千代の山雅信」の意味・読み・例文・類語 ちよのやま‐まさのぶ【千代の山雅信】 [1926~1977]力士。第41代横綱。北海道出身。本名、杉村昌治。突っ張りを得意とし、優勝6回。引退後、年寄九重ここのえとして出羽海部屋から独立。→第40代横綱東富士 →第42代横綱鏡里 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「千代の山雅信」の解説 千代の山 雅信チヨノヤマ マサノブ 昭和期の力士(第41代横綱) 生年大正15(1926)年6月2日 没年昭和52(1977)年10月29日 出生地北海道松前郡福島町 本名杉村 昌治 別名年寄名=九重 雅信(ココノエ マサノブ) 主な受賞名〔年〕勲四等瑞宝章 経歴昭和16年出羽海部屋に入門。17年1月初土俵、20年11月入幕、26年第41代横綱に昇進。34年引退。幕内在位46場所、幕内成績366勝149敗2分け、勝率.710、優勝6回。42年独立して九重部屋を創立し、横綱・北の富士を育て、千代の富士をスカウトした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千代の山雅信」の解説 千代の山雅信 ちよのやま-まさのぶ 1926-1977 昭和時代の力士。大正15年6月2日生まれ。昭和16年出羽海(でわのうみ)部屋に入門,20年入幕,26年41代横綱となる。190cmの長身からの突っ張りを得意とし,優勝6回。34年引退して九重(ここのえ)部屋をおこし,横綱北の富士らをそだてた。昭和52年10月29日死去。51歳。北海道出身。本名は杉村昌治。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「千代の山雅信」の解説 千代の山 雅信 (ちよのやま まさのぶ) 生年月日:1926年6月2日昭和時代の力士(第41代横綱)1977年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by