千葉泰樹(読み)チバ ヤスキ

20世紀日本人名事典 「千葉泰樹」の解説

千葉 泰樹
チバ ヤスキ

昭和期の映画監督



生年
明治43(1910)年6月24日

没年
昭和60(1985)年9月18日

出身地
中国長春

別名
筆名=二見 明,吉田 二三夫

学歴〔年〕
神戸商〔昭和3年〕卒

経歴
昭和3年京都の阪妻立花ユニヴァーサル聯合映画に入り、5年「蒼白き人々」を第一作に時代劇を多作。その後日活、南旺映画に移ってからは「人生劇場・残俠篇」「空想部落」「彦六なぐらる」など現代劇がヒット。15年の「煉瓦女工」は検閲で上映禁止になった。戦後大映で「花咲く家族」を撮ったあとフリー。32年以降は東宝で「大番」シリーズを大ヒットさせ、青春もので活躍。44年に再びフリー。本名のほかに、二見明、吉田二三夫という筆名で脚本を数十本執筆した。主な作品に「美しき鷹」「白い壁画」「幸福への招待」「悪の愉しさ」「二人の息子」「沈丁花」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千葉泰樹」の解説

千葉泰樹 ちば-やすき

1910-1985 昭和時代の映画監督。
明治43年6月24日清(しん)(中国)長春生まれ。昭和5年河合映画の「蒼白き人々」で監督デビュー。戦前は日活で「人生劇場・残侠篇」,南旺映画で「空想部落」,戦後は新東宝で「生きている画像」などを手がけ,東宝の「大番」が大ヒットした。昭和60年9月18日死去。75歳。神戸商業卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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