南加納村(読み)みなみかのうむら

日本歴史地名大系 「南加納村」の解説

南加納村
みなみかのうむら

[現在地名]河南町加納かのう

平石ひらいし村の西、北加納村の南にある。もと北加納村と一村であった(→北加納村正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高三六七石余、幕府領、小物成として山年貢米一石余。延宝七年(一六七九)の人数は三三七(建水分神社文書)、古来石の上の村といわれたが、東部山地の湧水から井路を引き北加納村に比べて水利に恵まれていて、水車利用の精米・油絞り・製粉・製綿など加工業もあり、米麦のほかに木綿菜種里芋(加納芋)を産した(河南町誌)。北加納村とは仏教信仰に差異があって両村が分れた原因ともいわれる。寺院には弘仁一二年(八二一)満米の開創と伝える天台宗東福とうふく寺があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む