日本歴史地名大系 「南岡村」の解説
南岡村
みなみならおかむら
雄物川の南方にあり、楢岡川およびその支流に数多くの支郷が点在している。東は丘陵を越えて
近世以前は楢岡と称し、南楢岡の称は万治年間(一六五八―六一)以降といわれるが、慶長一九年(一六一四)の知行宛行状(秋田藩家蔵文書)に南楢岡、「梅津政景日記」寛永七年(一六三〇)五月二一日条などに「南なら岡」とみえるから、すでに近世初期から南楢岡と称していた。
中世に佐藤太郎時連が楢岡城に居住したと伝えられる。長禄二年(一四五八)、
天正一八年の出羽国仙北之内北浦郡御検地目録帳(戸沢文書)には
南岡村
みなみおかむら
- 京都府:福知山市
- 南岡村
南方
古代は
松平忠房時代(慶安―寛文)の福知山城下図をみると、南岡村の台地に格子形通路が描かれ、ことに南北の幹線が三本設けられ、足軽小頭などの文字もみえ、全体が足軽屋敷のようである。この絵図には別に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報