南有馬町(読み)みなみありまちよう

日本歴史地名大系 「南有馬町」の解説

南有馬町
みなみありまちよう

面積:二三・二四平方キロ

島原半島の南部に位置し、北部は北有馬町、西部は口之津くちのつ町・加津佐かづさ町、北西部は南串山みなみくしやま町に接する。町域の西部に鳳上ほうじよう(四〇九・七メートル)や三〇〇メートル級の上原うわはる山岳丘陵が広がり、南東部に向かって緩やかに傾斜している。北有馬町境を流れる有馬川の流域には平野部が形成されるが、六反田ろくたんだ川などは流路が短い。有馬川の南方有明海(島原湾)に突き出た駒崎こまざき鼻があり、大江おおえ浦田うらだには入江がみられる。海岸部を島原鉄道が通り、それにほぼ並行して国道二五一号があり、中央部には県道山口やまぐち―南有馬線が通る。海岸の一部は島原半島県立公園の指定域内。

有馬川に近い北東部の北岡金比羅祀きたおかこんぴらし遺跡は拠点的集落の跡で、弥生時代中期の合せ口甕棺などを検出、かつて銅剣が出土したと伝える。その南東の海岸近くの浦田遺跡は古墳時代の遺跡で、石棺から石鐘が発見されている。鳳上岳の頂上部には祭祀を行ったと推定される遺跡があり、山岳信仰を伝えるものという。律令制下では高来たかく郡に属していたが、町域に「和名抄」に記される高来郡のいずれの郷が置かれていたかは明らかではない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報