北有馬(読み)きたありま

百科事典マイペディア 「北有馬」の意味・わかりやすい解説

北有馬[町]【きたありま】

長崎県南高来(みなみたかき)郡,島原半島南部の旧町。島原鉄道が通じる。有馬川の支谷に集落が発達,段々畑棚田が顕著。ジャガイモ,米,イチゴ,ミカン多産。1580年,キリシタン大名有馬晴信によって設けられた有馬セミナリヨ跡がある。2006年3月,南高来郡加津佐町,口之津町,南有馬町,西有家町,有家町,布津町,深江町と合併し市制南島原市となる。26.13km2。4421人(2003)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北有馬」の意味・わかりやすい解説

北有馬
きたありま

長崎県南高来(みなみたかき)郡にあった旧町名(北有馬町(ちょう))。現在は南島原市(みなみしまばらし)の中西部を占める。旧北有馬町は1969年(昭和44)町制施行。2006年(平成18)南有馬、加津佐(かづさ)、口之津(くちのつ)、有家(ありえ)、西有家、深江(ふかえ)、布津(ふつ)の7町と合併、市制施行して南島原市となった。旧北有馬町域は島原半島雲仙(うんぜん)岳南西麓(ろく)に位置し、国道251号、389号が通じる。有馬川が雲仙火山山麓を刻む傾斜地に、段々畑や棚田(たなだ)が分布し、段々畑には1925年(大正14)からミカンが導入され、島原半島の柑橘(かんきつ)栽培先進地帯をなす。最近ではメロン栽培や酪農も盛んである。有馬川河口のほかには海岸を欠き、漁業はまったく行われていない。中心集落をなす谷川地区には、1215年(建保3)有馬氏の初代藤原経澄(つねずみ)が築いた日野江(ひのえ)城跡があり、有馬氏370年間の統治の拠点をなした。また、原山(はらやま)には縄文晩期の原山ドルメン(支石墓群。国指定史跡)がある。

[石井泰義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北有馬」の意味・わかりやすい解説

北有馬
きたありま

長崎県南東部,南島原市中部の旧町域。島原半島の南部,雲仙岳南麓にある。 1969年町制施行。 2006年加津佐町,口之津町,南有馬町,西有家町,有家町,布津町,深江町と合体して南島原市となった。海岸がほとんどない内陸地で農業が中心。農地は河川沿いの低地を除いては大部分が丘陵地帯で,段々畑や棚田でのミカン,ジャガイモ栽培が行われる。特にミカンは 1950年代の早い時期に団地形成を行なうなど,半島における先進地となった。有馬氏初代の築いた日野江城跡,縄文時代の原山支石墓群があり,それぞれ国の史跡に指定されている。一部は雲仙天草国立公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「北有馬」の意味・わかりやすい解説

北有馬 (きたありま)

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