日本歴史地名大系 「南院」の解説 南院なんいん 和歌山県:伊都郡高野町高野山五之室谷南院[現在地名]高野町高野山五之室(ごのむろ)谷の西端北側、近世まで大徳(だいとく)院(現在小田原谷にある蓮花院)のあった地に位置し、北には徳川家霊台がある。明治以前の南院は学侶方の一院で、大門(だいもん)通の南(みなみ)谷南側に、勧学(かんがく)院と向い合っていたが、大徳院の移転に伴い当地に移された。別格本山で本尊不動明王。奈良興福寺の学僧真興の開基と伝え、院名は真興が奈良東大寺の南院に住したことがあったためという(続風土記)。真興は寛弘元年(一〇〇四)に没しているが、高野登山と当院開基の年代は不明。本尊不動明王は波切不動ともよばれ、大同元年(八〇六)唐より帰朝の空海を助けたと伝え、初め高雄神護(たかおじんご)寺(現京都市右京区)にあったが、貞観年間(八五九―八七七)山城醍醐寺に迎え、さらに長保元年(九九九)尾張熱田(あつた)神宮(現愛知県名古屋市熱田区)に移され、延久二年(一〇七〇)に高野山山王(さんのう)院に安置されたが、承保二年(一〇七五)維範検校のとき南院の本尊とされたと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by