南陽寺(読み)なんようじ

日本歴史地名大系 「南陽寺」の解説

南陽寺
なんようじ

[現在地名]鈴鹿市稲生町 網田圦

稲生いのう集落南部にあり、山号梅松山。高野山真言宗、本尊釈迦如来。俗に釈迦堂ともよばれる。従来、稲生神宮寺の末寺とされてきた。昭和五一年(一九七六)に発見された棟札には、貞和二年(一三四六)創建とある。その後戦乱により堂宇が破壊されたが、村民らが紀伊中納言(光貞)の援助で、延宝五年(一六七七)堂を修営したという。寺地西方城屋敷しろやしき台地にあったが、室町期稲生城築城のため現在地に移されたと伝えられる。師成親王書写の新葉集(京都、故富岡謙蔵氏所蔵)奥書には「応永卅年三月日、書写之、于時勢州安芸郡栗真庄南陽寺泉昌庵」とある。

南陽寺
なんようじ

[現在地名]八百津町八百津

八百津の南陽にあり、白崖山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊聖観音。もと南陽庵と称し、大仙だいせん寺の末寺であった。臨済宗京都南禅寺二二六世蘭坡景開創、二世は叔棠全昌である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報