南高野村(読み)みなみこうやむら

日本歴史地名大系 「南高野村」の解説

南高野村
みなみこうやむら

[現在地名]日立市南高野町・久慈くじ町四丁目

茂宮もみや川の左岸、海岸段丘面に位置し、東は久慈村上の台うわのだい遺跡・南高野貝塚・西大塚にしおおつか遺跡および西大塚古墳群、南高野横穴群など、縄文時代中期から古墳時代後期の遺跡が点在する。隣接の石名坂いしなざか村を含む一帯は多賀山地南麓から東南に開ける台地で古くから開け、「常陸国風土記久慈郡の項にみえる「高市たけち」の地に比定され、「和名抄」にも久慈郡の項に高市郷がみえる。

寛永二一年(一六四四)の御知行割郷帳に「南高野村」と記され、「新編常陸国誌」によると明和元年(一七六四)の人口二〇三、「水府志料」によると村の東西八町・南北一〇町余、文化初めの戸数三八とある。


南高野村
みなみこうやむら

[現在地名]河東町南高野

高塚たかつか山南西に位置し、北は冬木沢ふゆきざわ村、南東つつみ新田。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に南小屋とあり、高三一四石余。宝永三年(一七〇六)の高七〇三石余(「御国中郡分村付組切覚帳」鈴木家文書)。代田組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高六八〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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