玉川町(読み)たまがわちよう

日本歴史地名大系 「玉川町」の解説

玉川町
たまがわちよう

面積:一〇三・九八平方キロ

高縄たかなわ半島の中央にあり、越智郡陸地部の三分の一を占める。東は朝倉あさくら村と東予とうよ市、西は大西おおにし町・菊間きくま町・北条ほうじよう市、南は一〇〇〇メートル級の山岳周桑しゆうそう丹原たんばら町・温泉おんせん重信しげのぶ町・松山市、北は今治いまばり市に囲まれ、海には面していない。町の中央部を南北に蒼社そうじや川が流れ、その支流の谷間に三〇余の集落が点在する。

南部には高縄山系を代表する楢原ならばら(一〇四二メートル)がそびえ、山麓に広がる民有林六千ヘクタール、国有林八五〇ヘクタール、共有山組合林一千九〇〇ヘクタールは杉・檜の美林がよく育ち、近年急速に発展した椎茸の生産とともに林業の町として知られる。

玉川町
たまがわちよう

[現在地名]松山市一番いちばん町二丁目

松山城下町の東部の町。北京きたきよう町に平行してその北を東西に通る町筋と周辺を含む。東は持田もちだ村、西は小唐人ことうじん町、南は北京町、北は御宝みたから町に接する。初め小唐人南片原ことうじんみなみかたはら町とよばれたことは、元禄年間(一六八八―一七〇四)の記事を載せた「松山町鑑」(伊予史談会蔵)の「水呑町拾八町」のなかに小唐人南片原町とあり、後世注記に「玉川町と改」とあるので知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報