原澄治(読み)ハラ スミジ

20世紀日本人名事典 「原澄治」の解説

原 澄治
ハラ スミジ

大正・昭和期の実業家,社会事業家 倉敷紡績取締役;中国民報社主



生年
明治11(1878)年7月23日

没年
昭和43(1968)年1月4日

出生地
岡山県児島郡藤戸村(現・倉敷市)

旧姓(旧名)
星島

学歴〔年〕
早稲田大学政治経済科〔明治36年〕卒

主な受賞名〔年〕
倉敷市名誉市民〔昭和35年〕,藍綬褒章〔昭和39年〕

経歴
中外商業新報記者となり、のち経済部長を務める。明治40年倉敷紡績に入社、42年倉敷町の原長と結婚し原家を継ぐ。大正4年取締役に就任し社長・大原孫三郎の側近として補佐すると共に、昭和20年辞任するまで系列の奨農土地会長、倉敷絹織取締役、中国信託社長、岡山合同貯蓄銀行頭取、中国銀行取締役などを兼任する。一方、大正2年大原が坂本金弥から買収した中国民報(山陽新聞前身)社主に就任、7年四国民報の初代社主も兼務した。また明治45年から郡議、町議を務め、大正7〜13年名誉倉敷町長に就任、水道敷設を完成させる。12年蔵書を寄贈し倉敷図書館を設立、15年私財を投じて倉敷天文台を創設、名誉台長となる。他方、6年岡山県済世顧問制度最初の済世顧問となり、貧困者救済に尽力。8年自費で倉敷人事相談所や倉敷職業紹介所を設置し自ら所長を務めたほか、14年倉敷町済世会を創設し会長となり地域福祉向上にも努めた。ほかに岡山県農業会初代会長、県海外移住組合理事長、倉敷市教育会長、倉敷市文化連盟会長、県公安委員長など数多くの要職歴任。政財界・文化・教育・福祉など多方面に功績を残した。著書に「彰邦百話」「続彰邦百話」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原澄治」の解説

原澄治 はら-すみじ

1878-1968 大正-昭和時代の経営者,社会事業家。
明治11年7月23日生まれ。40年倉敷紡績に入社,大原孫三郎の側近として中国銀行取締役,中国民報(山陽新聞の前身)社主などを歴任。倉敷図書館,倉敷天文台を創設。地域福祉の向上にもつとめた。昭和43年1月4日死去。89歳。岡山県出身。早大卒。旧姓は星島。号は彰邦。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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