20世紀日本人名事典 「原田大六」の解説
原田 大六
ハラダ ダイロク
昭和期の考古学者
- 生年
- 大正6(1917)年1月1日
- 没年
- 昭和60(1985)年5月27日
- 出生地
- 福岡県糸島郡前原町(現・前原市)
- 学歴〔年〕
- 糸島中〔昭和9年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 西日本文化賞〔昭和53年〕「銅鐸への挑戦」
- 経歴
- 復員後の昭和21年から故中山平次郎九州大学医学部教授に師事して考古学を学び、40年平原遺跡など前原町内各地の遺跡の発掘調査に参加、鏡鑑類42面などが副葬された方形周溝墓を発掘した。その研究成果をもとに多数の著書を発表したが、2世紀後半の弥生古墳を想定、伊都国王の墓と考えた「耶馬台国論争」(44年)は現在まで続く耶馬台国論争に先鞭をつけた書として金字塔的な存在。このほか「実在した神話―発掘された『平原弥生古墳』」「卑弥呼の墓」「銅鐸への挑戦」(全5巻)などを著し、在野の考古学者として“原田古代学”を打ち立てた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報