及川道子(読み)オイカワ ミチコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「及川道子」の解説

及川 道子
オイカワ ミチコ


職業
女優

生年月日
明治44年 10月20日

出身地
東京府 豊多摩郡渋谷町(東京都 渋谷区)

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)〔昭和2年〕修了,第一外国語学校英語専科・高等科〔昭和3年〕修了

経歴
築地小劇場初舞台、「青い鳥」「埋れた春」「国姓爺合戦」などに出演。昭和4年新築地劇団を経て松竹蒲田入社。「不壊の白珠」でデビュー。5年「抱擁」で岡田時彦の相手役、「女よ、君の名を汚す勿れ」など新鮮さでインテリ人気を得たが、結核のため中断。7年「象の防風林」で大日方伝と共演、8年幹部、「眠れ母の胸に」に主演、山林千代子と独唱。「港の日本娘」に江川宇礼雄、「頬を寄すれば」に岡譲二、「愛憮」で岡田嘉子、「月形半平太」で林長二郎と共演したが、9年再び発病。10年「真白き富士の根」、11年の「家族会議」を最後に12年退社した。

没年月日
昭和13年 9月30日 (1938年)

伝記
女の足指電話機回想の女優たち銀座フルーツパーラーのお客さん―そのサイン生涯 虫明 亜呂無 著大島 幸助 著(発行元 清流出版文園社 ’09’02発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「及川道子」の解説

及川 道子
オイカワ ミチコ

大正・昭和期の女優



生年
明治44(1911)年10月20日

没年
昭和13(1938)年9月30日

出身地
東京府豊多摩郡渋谷町

学歴〔年〕
東京音楽学校〔昭和2年〕修了,第1外国語学校英語専科・高等科〔昭和3年〕修了

経歴
築地小劇場で初舞台、「青い鳥」「埋れた春」「国姓爺合戦」などに出演。昭和4年新築地劇団を経て松竹蒲田入社。「不壊の白珠」でデビュー。5年「抱擁」で岡田時彦の相手役、「女よ、君の名を汚す勿」など新鮮さでインテリに人気を得たが、結核のため中断。7年「象の防風林」で大日方伝と共演、8年幹部、「眠れ母の胸に」に主演、山林千代子と独唱。「港の日本娘」に江川宇礼雄、「頰を寄すれば」に岡譲二、「愛憮」で岡田嘉子、「月形半平太」で林長二郎と共演したが、9年再び発病。10年「真白き富士の根」、11年の「家族会議」を最後に12年退社した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「及川道子」の解説

及川道子 おいかわ-みちこ

1911-1938 大正-昭和時代前期の女優。
明治44年10月20日生まれ。築地小劇場にはいり,大正13年「そら豆の煮えるまで」で初舞台。昭和4年松竹蒲田にはいり「不壊の白珠」の主役で映画デビュー。知的で清潔な容貌で人気となり,清純スターとして活躍した。昭和13年9月30日死去。28歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)修了。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android