大日方伝(読み)オビナタ デン*

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「大日方伝」の解説

大日方 伝
オビナタ デン*


職業
俳優

生年月日
明治40年 3月16日

出生地
福岡県 小倉市室町(北九州市)

学歴
東洋大学

経歴
園芸技手を経て、昭和4年22歳で日活に入社。5年「至誠の輝き」でデビュー。オリエンタル映画のトーキー浪子」で水谷八重子と共演したのち、7年松竹蒲田に入社。田中絹代と共演した「伊豆踊子」(8年)、逢初夢子と組んだ「隣の八重ちゃん」(9年)の学生役でスターとしての地位確立。「生きとし生けるもの」「一つの貞操」(9年)で主役を演じ、10年東京発声の創立に参加、「若い人」(12年)、「太陽の子」(13年)の教師役で大成功を収める。13年東宝に移り、「上海陸戦隊」(14年)、「燃ゆる大空」(15年)、「母の地図」(17年)などで行動的な役を多く演じた。戦後大映で「夜の門」(23年)、「検事と女看守」(24年)、「窓から飛び出せ」(25年 原作・製作も)などに主演。28年、年来の夢であった農業経営のためブラジルに移住したが、間もなく失敗、その後米国で長く貿易関係の仕事をしていた。体をこわし帰国、闘病生活を続けていた。

没年月日
昭和55年 8月21日 (1980年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「大日方伝」の解説

大日方 伝
オビナタ デン

昭和期の俳優



生年
明治40(1907)年3月16日

没年
昭和55(1980)年8月21日

出生地
福岡県小倉市室町(現・北九州市)

学歴〔年〕
東洋大学

経歴
園芸技手を経て、昭和4年22歳で映画界入り。日活を経て、7年松竹蒲田に入社。13年東宝に移る。「伊豆の踊子」で田中絹代と共演してスターとなり、戦前は野性味ある二枚目として活躍。おもな主演作品に「生きとし生けるもの」「一つの貞操」など。28年ブラジルに移住したが農場経営に失敗、その後米国で長く貿易関係の仕事をしていた。体をこわし帰国、闘病生活を続けていた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大日方伝」の解説

大日方伝 おびなた-でん

1907-1980 昭和時代映画俳優
明治40年3月16日生まれ。昭和4年日活に入社し,「至誠の輝き」でデビュー。7年松竹蒲田(かまた)撮影所にうつり,「伊豆の踊子」「隣の八重ちゃん」などで好演。以後東宝,新東宝などの作品に出演。昭和55年8月21日死去。73歳。福岡県出身。東洋大卒。出演作品は「左うちわ」「若い人」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android