日本歴史地名大系 「古堅村」の解説 古堅村ふるぎんむら 沖縄県:沖縄島南部大里村古堅村[現在地名]大里村古堅(ふるげん)南風原(ふえーばる)村の西、平良(てーら)村の北にある。絵図郷村帳・琉球国高究帳に島添大里(しましーうーざとう)間切「ふるけむ村」とあり、「琉球国由来記」には大里(うーざとう)間切古堅村とみえる。同名村が読谷山(ゆんたんじや)間切にある。高究帳によると高頭三九石余、うち田三一石余・畠八石余。間切集成図では当村の北側で首里から大里間切番所に至る道筋と、与那原(ゆなばる)村(現与那原町)から当間(とーま)村・仲程(なかふどう)村などへと続く道筋が交差する。集落の南に井がある。読谷山間切古堅地頭職が古堅を家名とするので、当村を領した地頭職は奥原を称した。武氏八世武国柱奥原親雲上宗忠・九世崇満がいる(氏集)。 古堅村ふるぎんむら 沖縄県:沖縄島中部読谷村古堅村[現在地名]読谷村古堅(ふるげん)大湾(わん)村の南にあり、南方崖下を比謝(ひじや)川が流れる。対岸は北谷(ちやたん)間切嘉手納(かでいなー)村(現嘉手納町)。「おもろさうし」巻一五の六七・六八に「ふるけものろのふし」とあり、「ふるけものろ」を謡ったオモロがあった。村の創始は中今帰仁按司系統であるとの伝承が残る。絵図郷村帳・琉球国高究帳には「ふるけむ村」とみえ、高究帳では畠六八四石余。「琉球国旧記」に古堅邑とある。「琉球国由来記」に拝所等はみえないが、神アシャギ・古堅御嶽があり、大湾ノロが祭祀を行った。「琉球藩雑記」では脇地頭古堅の古堅村からの作得は四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by