オモロは沖縄、奄美(あまみ)諸島に伝わる古歌謡で、これを首里(しゅり)王府で採録編纂(へんさん)したものが『おもろさうし』である。オモロの周辺に潜在するさまざまの歌謡群を比較検討することによって、オモロの性格がかなり明らかになった。地方の神祭りに密着し、集落の人々の生活に寄り添って神歌としての機能を果たしていたウムイが、16世紀に中央の首里に集められ、『おもろさうし』のなかに収められたとき、ウムイに対するにことさらなオモロという呼称が生まれたものであろう。つまり、地方に伝わるウムイを母胎にして、呼称、歌形、内容などが中央的に整理され整えられていったものがオモロである、ということができる。オモロは、発生起源をウムイ、クェーナ、さらにはオタカベ、ミセセルなどとよばれる呪詞(じゅし)、呪言(じゅごん)につなげて考えることができ、また叙情的傾斜をみせた琉歌(りゅうか)形式に近いものまで多様な内容を含むが、その本質は叙事歌として位置づけることができると思う。つまり、オモロに先行する文学形式としては、呪祷(じゅとう)文学としてのミセセル・オタカベ、叙事文学としてのクェーナ・ウムイがあり、後続するものとして叙情文学のウタ(琉歌)がある。オモロは、『おもろさうし』に収録された歌の内容から、ほぼ13世紀ごろから17世紀初頭にわたって謡われたと推定される。作者は多少の例外を除いて不明である。しいていえば民謡と同じく社会がその作者である。それだけにオモロは、背景をなす民俗、信仰、世界観などを明らかにしないと、一首の意味をつかむことはむずかしい。
オモロの謡われた時代を仲原善忠(ぜんちゅう)は、部落時代、按司(あじ)時代、王国時代の三つに区分した。部落時代の主題は神であり、太陽であり、祭祀(さいし)儀礼が中心である。按司時代には、築城、造船、貢租、貿易、按司の賛美などが多く謡われ、集団舞踊を伴う「ゑさおもろ」が発生した。王国時代になると、国王の礼賛、建寺、植樹、貢租、造船、貿易、航海、属島征伐など非農村的な主題が多くなり、一種の労働歌である「ゑとおもろ」が生まれた。しかし、『おもろさうし』のなかでもっとも目をひくのは、巻1に代表される王家を中心にした神歌で、『おもろさうし』の成立が第二尚王朝による中央集権の強化と、それに伴う政教一致の支配体制の確立と深くかかわっていることが明らかである。
オモロの歌形は、クェーナ形式、オモロ形式、両者の複合した複合形式の三つに分類できる。クェーナ形式は対語・対句を繰り返しながら事柄の叙述を進めていく歌謡形式で、南島の神歌が普遍的に共有している歌形であり、古い歌形であると思われる。オモロ形式は、対語・対句による繰り返しをもたずに事柄の叙述を進め、叙述が短く構造化されていることと、その叙述を4行目もしくは5行目くらいで反復して繰り返すという特徴をもっていて、歌形の新しい発展と考えられる。この両者の形を複合的にあわせもつのが複合形式で、オモロのなかではもっとも数が多い。
[外間守善]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…彼女らは官人でその職責は世襲であるが,その継承にあたっては種々の違いが認められる。ノロは〈ノロ殿内(どんち)〉に住んで,担当の祭祀管轄区域内の祈願儀礼を行い,御嶽(おたけ∥うたき)や拝所でオモロをうたい,オタカベ(お崇べ)を唱えた。オタカベは祭礼のよき日と神の出自をたたえた神への祈願の言葉をいう。…
…沖縄最古の歌謡集。オモロまたはウムイは,沖縄・奄美諸島に伝わる古い歌謡のこと。ほぼ12世紀ころから17世紀初頭にわたってうたわれた島々村々のウムイを首里王府で採録したのが《おもろさうし》22巻である。…
※「おもろ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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