古荘嘉門(読み)フルショウ カモン

20世紀日本人名事典 「古荘嘉門」の解説

古荘 嘉門
フルショウ カモン

明治期の政治家,官僚 貴院議員(勅選);衆院議員(国民協会)。



生年
天保11年12月1日(1840年)

没年
大正4(1915)年5月11日

出生地
肥後国熊本歩小路(熊本県)

別名
幼名=鶴吉,養節,号=火海

経歴
幕末長崎に留学、明治元年佐幕派の志士と交わり豊後鶴崎に帰り、有終館を設けた。7年司法省に出仕、11年大阪上等裁判所判事となる。14年民権論対抗、熊本で佐々友房らと紫溟会結成、国家主義を唱えた。のち青森県大書記官、大分県書記官、森有礼文相に抜擢され第一高等中学校長を歴任。条約改正問題で国権論を唱えて反対。23年熊本国権党総理となり、以来衆院議員当選5回、国民協会などに所属。のち、台湾総督府民政局事務官、群馬、三重各県知事を務めた。38年〜大正4年勅撰貴院議員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「古荘嘉門」の解説

古荘 嘉門
フルショウ カモン


肩書
貴院議員(勅選),衆院議員,国権党総理

別名
幼名=鶴吉 養節

生年月日
天保11年(1840年)

出生地
肥後国熊本歩小路(熊本県)

経歴
幕末長崎に留学、明治元年佐幕派の志士と交わり豊後鶴崎に帰り、有終館を設けた。のち司法省判事となり、14年民権論に対抗、熊本で佐々友房らと紫溟会を結成、国家主義を唱えた。のち青森、大分各県書記官、森有礼文相に抜てきされ第一高等中学校長を歴任。条約改正問題で国権論を唱えて反対。23年国権党総理となり、以来衆院議員当選5回。この間台湾総督府内務部長、三重、群馬各県知事を務めた。31年勅選貴院議員となる。

没年月日
大正4年5月

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古荘嘉門」の解説

古荘嘉門 ふるしょう-かもん

1840-1915 明治時代の官僚,政治家。
天保(てんぽう)11年12月1日生まれ。明治11年大阪上等裁判所判事。のち郷里熊本へかえり,14年紫溟(しめい)会を組織し,民権論に対抗して国権主義をとなえた。23年熊本国権党総理となり衆議院議員(当選5回)。群馬県,三重県の知事をつとめ,38年貴族院議員。大正4年5月11日死去。76歳。号は火海。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古荘嘉門」の解説

古荘 嘉門 (ふるしょう かもん)

生年月日:1840年12月1日
明治時代の政治家。衆議院議員
1915年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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